私は大学一年のときに父を亡くし、その8ヵ月後に祖父を亡くしました。
父とは同居していましたが、祖父は尼崎で別所帯です。
どちらの葬儀もそれぞれの自宅で行いました。
式を切り盛りしてもらったのはで信頼できる会社「関西セレモニー」に頼みました。昔ながらの良い葬式を行なってくれる人気の会社です。
今ではめずらしいことでしょう。
自宅での葬儀、という以外はまたく対照的なものでした。
父はいわゆる儀礼的なことをひどく嫌う性格。
万事「シンプル」が身上で、遺言はありませんでしたが、自身の葬儀もできるだけシンプルにして、会葬者の方々に余計な気を使わせない方が良いと父は思う筈だ、と喪主の母をはじめ私たち遺族は考えました。
ですから、祭壇も花も通夜も告別式も、特別な趣向や演出はなにも加えず、すべてひたすらシンプルに、コンパクトに行いました。
型どおりすぎるともいえるかも知れませんが、そのそっけなさが、息子である私には「いかにも父らしい」と感じられました。
今でも思い出すたび「おやじにふさわしい式だった」と思います。
その8ヶ月後に、母方の祖父が亡くなりました。母にしてみれば、夫を亡くしてまもなく実父を失ったのですから、大変なことだったろうと思います。
祖父の葬儀は喪主である伯父を中心にして、母たち兄弟が相談して行いました。
祖父は明治生まれで、いわゆる「立身出世」を遂げた人。
なんでも大げさで、格式ばっているのが好きな人でした。
いわゆる「明治の元勲」のような感覚、人生観だったのです。
それを良く知っている伯父をはじめ母たち兄弟は、「できるだけ派手に、おおげさな式にしよう」と相談したといいます。
自宅ですから限界はありますが、祭壇は可能な限り立派なものにして、花も真っ白な一輪菊を、これ以上はむりというほどたくさん飾りました。
壮観でした。さらに、家の外に花輪がずらりと、隣のお宅まで並んでいたのを思い出します。
会葬者への返礼も、父は型どおりでしたが、祖父は、病床にあった本人が自分で用意した「本人からの礼状」が添えられました。
「私儀、このたび心ならずも他界し」ではじまる、なんとも不思議な礼状でした。
芝居がかったそんな礼状も、いかにも祖父らしいのです。
学生時代にこの2つの身内の葬儀を経験した私は、葬儀は要するに「亡くなったその人らしさ」を
最優先して行われるべきだという思いを、強く持っています。
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