子どもの頃から近視だった私が、最初にコンタクトレンズを使ったのは20歳の時です。
すでに3歳年上の姉が使用していたので、目の中に物をいれるなんて怖いなどという感覚はなく、むしろ自然な流れでした。
最初に勧められたのはハードレンズでしたが、入れてみると痛くて涙が出てとても使える物ではありませんでした。
ハードは無理と言うことでソフトレンズを入れてみると、ハードとは違いまったく違和感が無く、すぐに視力がでる事に感激しました。
それからはソフトレンズを使い続けましたが、もともとアレルギー体質なので、アレルギー性結膜炎を起こすことが多く、目薬を併用しながらの装用でした。
そんなある日、仕事しているといつものように目のかゆみがありました。
少し目をこすっているとますますかゆみが増してきて、ゴシゴシと掻いてしまいました。
するとコンタクトがぽろっとはずれてしまいました。
すぐにしゃがみ込んで探しましたが見つかりません。
そんな私に気づいた周りの人たちも一緒に探してくれましたが見つかりませんでした。
もう、仕方ないなとあきらめかけたときに何となく目に違和感があるので、鏡で見てみると・・なんとコンタクトが2つに折れて目の中に入っていました。
そうです。
落としたと思ったコンタクトは実は私の目の中にあったのです。
大騒ぎした手前、なんと言ったらよいのか分からずに「もう、見つからないと思うので、あきらめます」と嘘をつきました。
その後、トイレに駆け込んで無事にコンタクトを元の位置に戻しましたが、一緒に探してくれた皆さんに申し訳なくて、しばらくは自分のデスクに戻れませんでした。
無くしたはずのコンタクトが実は目の中にあった。
評判の歯医者の理由がわかった
私は今住んでいる地域に引っ越してきてまだ半年程度ですので、突然歯が痛くなったときにどこの歯医者にいくべきか悩みました。
結局近くに昔から住んでいた友人に歯医者の口コミを聞いてみて、周囲でよくうわさにあがる評判のいい歯医者があると聞いて言ってみました。
しかし、その友人の性格を良く考えなかったのが失敗でした。とんでもない女たらしの友人は、こういう歯医者など女性がいるところではその在籍する女性がきれいかどうかで評判を決めるいやらしい男だったのです。
結果、その歯医者に行ってみると受付の女性からしてかなりきれいで驚きました。
それと同時に友人が容姿だけで評判のよさを決めていたんじゃないかと不安がよぎったのですが、実際その通りでした。
確かにきれいな女性がいる歯医者と言うのは魅力的といえば魅力的ですが、できれば歯医者は手早く確実に治療してくれるようなところの方が精神的にはうれしいものです。
実際、その歯医者もきれいな女性はいるものの、手際が悪くていらいらすることも多かったですし、治療も大雑把でよく痛むので困ってしまったほどです。
歯医者の口コミではもっと地域のコミュニティに密着したものを利用したほうがよさそうです。
8ヶ月で2度、身内の葬儀を経験
私は大学一年のときに父を亡くし、その8ヵ月後に祖父を亡くしました。
父とは同居していましたが、祖父は尼崎で別所帯です。
どちらの葬儀もそれぞれの自宅で行いました。
式を切り盛りしてもらったのはで信頼できる会社「関西セレモニー」に頼みました。昔ながらの良い葬式を行なってくれる人気の会社です。
今ではめずらしいことでしょう。
自宅での葬儀、という以外はまたく対照的なものでした。
父はいわゆる儀礼的なことをひどく嫌う性格。
万事「シンプル」が身上で、遺言はありませんでしたが、自身の葬儀もできるだけシンプルにして、会葬者の方々に余計な気を使わせない方が良いと父は思う筈だ、と喪主の母をはじめ私たち遺族は考えました。
ですから、祭壇も花も通夜も告別式も、特別な趣向や演出はなにも加えず、すべてひたすらシンプルに、コンパクトに行いました。
型どおりすぎるともいえるかも知れませんが、そのそっけなさが、息子である私には「いかにも父らしい」と感じられました。
今でも思い出すたび「おやじにふさわしい式だった」と思います。
その8ヶ月後に、母方の祖父が亡くなりました。母にしてみれば、夫を亡くしてまもなく実父を失ったのですから、大変なことだったろうと思います。
祖父の葬儀は喪主である伯父を中心にして、母たち兄弟が相談して行いました。
祖父は明治生まれで、いわゆる「立身出世」を遂げた人。
なんでも大げさで、格式ばっているのが好きな人でした。
いわゆる「明治の元勲」のような感覚、人生観だったのです。
それを良く知っている伯父をはじめ母たち兄弟は、「できるだけ派手に、おおげさな式にしよう」と相談したといいます。
自宅ですから限界はありますが、祭壇は可能な限り立派なものにして、花も真っ白な一輪菊を、これ以上はむりというほどたくさん飾りました。
壮観でした。さらに、家の外に花輪がずらりと、隣のお宅まで並んでいたのを思い出します。
会葬者への返礼も、父は型どおりでしたが、祖父は、病床にあった本人が自分で用意した「本人からの礼状」が添えられました。
「私儀、このたび心ならずも他界し」ではじまる、なんとも不思議な礼状でした。
芝居がかったそんな礼状も、いかにも祖父らしいのです。
学生時代にこの2つの身内の葬儀を経験した私は、葬儀は要するに「亡くなったその人らしさ」を
最優先して行われるべきだという思いを、強く持っています。
今人気のイオン葬儀です。明朗会計が人気の秘密です。